elkurin’s blog

銀英伝はいいぞ

Jesus Christ Superstarのすすめ

それなりにミュージカルオタクを名乗っている僕が推す三大ミュージカルの1つ、Jesus Christ Superstar 〜ジーザス・クライスト・スーパースター〜 がなんと来日するということで、僕的なおすすめ要素を紹介します。音楽はアンドリューロイドウェバー作であることから自明に素晴らしいので、この記事では音楽の面よりもストーリー重視で書きます。

公演情報はこちら→ https://theatre-orb.com/lineup/wmcs/

ちなみに僕が推す三大ミュージカルは「オペラ座の怪人」、「ウエストサイドストーリー」、「ジーザスクライストスーパースター」の3つです。

なんの話なのか

タイトルにある通り、ジーザス・クライスト(日本語ではイエス・キリスト)の話なんですが、主にジーザスと裏切り者のユダを中心に、ジーザスの最期の7日間を現代的な目線で描いたミュージカルです。この現代的な目線というのがポイントで、いわゆる宗教的というか形式的な雰囲気の物語ではありません。むしろ、キリスト教という原作から作られた、より現代の人間が感情移入しやすいようにリメイクされた二次創作みたいな感じです。慕っているが故に裏切るとか大切にしたいのに挑発的な言い方しかできないやつとかたくさんの人に囲まれているのに自分の言葉を聞いているのは1人しかいないしそいつが裏切るとか不器用な生き方しかできない人たちとか歴史の悪役にも彼らの視点の正義を描くとかが好きな人は好きだと思います。ちなみに僕は全部好きです。

弱きを助け神の教えを説くジーザスを民衆は「神の子」と崇め救いを求めるが、ジーザスをひとりの人間として慕い支えてきたユダは民衆の盲目的な信仰を危険視し、当時権益を握る宗教関係者たちファリサイ派の反感を買ってユダヤ人そのものが潰されるのではないかと危惧し始めます。神の教えを説いて人々に救いを与えたいという純粋なジーザスは、ファリサイ派の動きなどに注意を払わずただ善行を行おうとするが、ある意味で計画性のない振る舞いは民衆に過剰な期待を与えだんだんおかしな方向に流れていき、ついには「戦おう!」「この民衆の力でローマを支配しよう!」などとジーザスの平和的な教えとは正反対の方向に向かっていきます。このままではジーザスが導いてきたユダヤ人社会が危険にさらされる、今までの善行すら無に帰してしまう、「神の子」だから信じてきた民衆たちもジーザスが「人の子」と知れば彼らの失望と怒りで潰されてしまう、そう考えたユダはジーザスをファリサイ派に売り飛ばし、「神の子」として死んでもらう決断をします。一方で、ジーザスは民衆に神の教えを説いても都合の良い部分しか皆聞かず、それでも「神の子」として民衆を導こうと苦悩しています。死を予見した際にはこんな役目を押し付けた神に怒りを向けるシーンも見られ、非常に人間的な存在として描かれています。「神の子」としての責務を全うしようとするジーザスと、ジーザスを想うが故に裏切る選択肢を取るユダの複雑な関係をメインに描いた人間物語です。さらにジーザスをただ純粋に愛するマグダラのマリアや様々な立場の人間の在り方も描かれ、人間考察好きのオタクにはとても味わい深い作品です。 

一応元ネタ(読まなくてもいいよ)

聖書などでの一般的解釈をあり得ん簡単に書きます。当時宗教が形骸的なものに成り下がり、真に神を信じるということを説くために「神の子」であるジーザスが民衆に神の教えを説き始めます。例えば、当時は罪があるから病にかかるとされ罪人と差別されていた病人たちを助けて回ったりと弱きを助ける感じの活動を始めます。だんだん活動規模が大きくなると共に、12人の使徒を弟子に加え宣教を進めます。しかしジーザスの教えは権益を握っていた宗教のお偉いさんたちにとって迷惑なもので、敵対勢力もジーザスを排除しようと動き始めます。そんな中、以前から度々不平を言っていた弟子の1人ユダが裏切って金欲しさにジーザスを売り、そのままジーザスは処刑されてしまいます。しかしその死をもってジーザスは父である神に赦しを乞い、まあなんか人類の罪を昇華します(ここの解釈はまちまちなので、なんかいいことしたみたいな感じでいいと思います)。

これが一般的な聖書の解釈ですが(宗教屋の方に怒られそう、、、勘弁🙇‍♂️)、これはあくまでジーザスの使徒たちが残した福音書によって描かれたストーリーです。なので、ジーザスはただの素晴らしい人で、ユダはただの裏切り者となっていますね。これが普通の解釈なので、このミュージカルが発表された当時はそれはもうキリスト教徒の方々は激おこぷんぷん丸でプラカードだらけのデモが行われたそうです。

僕は中高がミッションスクールで毎朝礼拝があり毎週聖書の授業を受けるというゴリゴリのクリスチャンで育ったんですが、中学生特有の反抗期(および銀英伝の地球教へのヘイト)のため「宗教なんてすべからく許さん!」みたいな時期で、

キリスト教は、最高権力者を宗教的に洗脳することで、 古代ローマ帝国を乗っ取るのに成功したのだ。それ以後、キリスト教がどれほど悪辣に他の宗教を弾圧し、絶滅させたか。そしてその結果、一つの帝国どころか文明そのものを支配するにいたった。これほど効率的な侵略は類を見ない。(アドリアンルビンスキー)

ユリアン、ノアの洪水の伝説を知っているだろう? あのときノアの一族以外の人類を抹殺したのは、悪魔ではなく神だ。これにかぎらず、一神教の神話伝説は、悪魔でなく神こそが、恐怖と暴力によって人類を支配しようとする事実を証明している、と言ってもいいほどさ(ヤン・ウェンリー)

 という感じでアンチキリスト教時代でした。そんな時にジーザスクライストスーパースターと出会いました。この作品を通して、ジーザスとかそういう聖書の人たちはゆうて僕らと同じ人間なんだと考えるようになり、キリスト教とも仲良くなりました。クリスチャンではないんですけどね。

そもそもミュージカルが無理という方へ

そもそもミュージカルが好きじゃないという話を何度か聞いたことがあって、「なんで突然歌い始めるんだ」という意見が多数のようです。そういう方々、この作品は心配ありません。最初から最後までずっと歌っているので突然歌い始めることはありません。はい。

話はすごく練りこまれているので、別に音楽とか好きじゃない、ミュージカルとか好きじゃないという方も、ストーリーとして楽しめる作品になっていると思います。特に考察オタクにとっては意味深な歌詞や描写がたくさんあるので、かなり面白いんじゃないかな。キリスト教の教養があるとさらに面白いですが、別に知らなくても全く問題ないです。

人間紹介

それではより詳しい人物紹介をしていきます。内面に着目して書きますね。

ユダという人間

ユダは簡単にいうと不器用なひねくれ者です。聖書ではただ悪態をつく裏切り者と表層的に描かれているユダですが、このミュージカルでは悪態の裏にある真意とか行動の動機が全て意味付けされています。

ユダは最もジーザスを人として敬愛しその言葉に耳を傾けていました。しかしジーザスが「神の子」であるということだけは信じなかったんですね。「人の子」として愛するが故に、彼の危うい生き方を心配し彼が傷付かないようにひたすら忠告し続けます。その言葉は無慈悲でもあり、ジーザスがマリアと過ごし心を安らげたいと望む時ですら無遠慮に突き刺さしてきます。しかも言い方は常に挑発的、皮肉的でなんでもっと素直に言えないねん!と思います。そういうところが好きなんだけどね。しかし、いかに都合の悪い言葉であろうとジーザスの言葉にはいつも真面目に時には涙を流しながら耳を傾けます。

苦悩の末にジーザスを売った後には、必要以上に痛めつけられるジーザスを見て取り乱しファリサイ派に乗り込んでいったりしますが、結局罪悪感に耐えきれられず、「ジーザスをどう愛していいかわからない」というマリアの歌をリプライズしながら自殺してしまいます。この際、こんな役目を与えた神への怒りを綴ります。こうなってくると、歴史の真の悪役は神では?みたいな気持ちになってきますね。

こんな感じで彼の行いは全て純粋にジーザスのためというのが動機になっています。ジーザスを愛し、ジーザスのためだけを考え、彼なりにまっすぐ行動を起こしてきているわけです。なんかこう、もう少し上手い感じにならなかったのかなあと思っちゃいますね。

ジーザスという人間

彼はひとりの人間には重すぎる責務を生まれた時から押し付けられ、純粋に頑張って生きた者と描かれます。聖書では完全無欠で非人間的な存在ですが、このミュージカルでは極めて人間的な苦悩が見えます。大量の病人に助けを求められて無理になり「自分で治せ!!」と叫んだり、責務を押し付けた神に「なんで私が死なないといけないんだ!てめえのせいだぞ!!」と怒ったり、ボケっとした使徒たちに対し「お前ら私のことなんかどうでもいいもんな!」とプンプンしたりします。また、民衆に教えを説いても都合のいいところしか聞かず、ただ欲望を満たしてくれるのを待つのみで「民衆のために戦ってくれ!」「民衆のために死んでくれ!」とエスカレートしていく一方なんですね。そんな中ジーザス自身を気にかけてくれる人が2人いました。それがユダとマリアです。

ユダについては上で長々と書きましたが、ジーザスはユダをどういう存在としていたのか。厳しい忠告ばかりかけてくるユダを煩わしいと感じながらも、「お前すら私をわかっていない!」と語りかけたり、ファリサイ派に売られてもなおユダを気にかけたりと、かなり思い入れがあるというか頼っているように読み取れます。自分の言葉が届かない、自分に頼るばかりで全然話を聞いてくれないとフラストレーションが溜まる中、ユダは分かってくれると甘えていた面もあったんだろうなと思います。もっと平和な世なら長い付き合いができそうな対等な親友になれそう。

一方でマリアは完全に癒し。ある意味でジーザスの弱い面を表している役だと思っていて、現実逃避したいときにマリアに縋っている感じですね。マリア自身はいつも苦悩しているジーザスを束の間でも安らげようと献身的に愛しています。このマリアですが、現代でいうと風俗嬢みたいな立場の女性なんですね。当然当時でも蔑まれる類の職種なんですが、そんな女性をも受け入れるジーザスの懐の深さもあってマリアは惹かれていき、仕事の枠を超えて尽くすようになります。ジーザスはただ現実逃避してるだけに見え、あまり特別な思い入れがある描写はないんですがどうなんでしょうね、僕にはよくわからん。

とまあ、こういう人間的な存在としてジーザスは描かれているのですが、これは全くジーザスを貶める作品ではなくて、我々人間と同じ感性を持ち同じ苦悩を抱えながらも人類を助けるために身を捧げたというところに僕はより素晴らしさを感じました。それまで学校でただの聖人としか習わず僕は全く興味のなかったジーザスも、僕らと同じ1人の人間と思うとなかなかすごい奴だなと思うんです。

名脇役たち

他にも皆それぞれの立場から真面目に生きています。

まずファリサイ派。彼らは聖書ではただの腐りきった既得権益として描かれますが、彼らもローマ帝国からユダヤを守るために彼らなりの正義を通しています。ジーザスの求心力によって抵抗勢力として力をつけすぎると、ローマが攻撃する口実を与えてしまいユダヤ社会そのものが破壊されてしまうと考えるんですね。そのため、これ以上力をつける前にジーザスを始末しようと企みます。この考えはユダと通じるものがあるので、ユダを取り込みジーザスを売らせます。こいつらの言うことも一理あるんで何が正義かよくわからなくなりますね。あと、ファリサイ派にはトップのカイアファ、その側近みたいなアンナスがいるんですが、こいつらがめちゃくちゃかっこいいんですよ。特にカイアファはバスとかバリトンのすごい低い声でかっこいいんですよ。

次にピラト。こいつは今まで言及していないんですが、ローマの総督でユダヤの監視役みたいなポジションです。聖書的な役割としてはジーザスに処刑を言い渡す人なんですが、このミュージカルでは彼にも味わい深いキャラクター付けがされています。ピラトは、ジーザスを処刑しその結果民衆からめっちゃ非難されるという悪夢を見ます。ピラトはローマ総督として強い厳つい感じを装っているんですが、実はとても繊細で優しい人間なんです。ジーザスを自分が殺してしまう予知夢を恐れ、ジーザスの裁判では必死に彼を助けようとします。しかし、ファリサイ派の人々に煽られ、ローマ総督としての立場に追い詰められ、結果的に「そんなに死にたいなら勝手に死ね!」とジーザスに死刑宣告を言い渡します。多分元の譜面に指定はないと思うんですが、多くの演出でピラト役はドイツ語っぽい変な語彙で歌うことが多いんですよ。なんですけど、このドイツ語っぽい語尾はあくまでローマ総督として強く振舞っているときに使われ、本来の繊細な人格が露わになるときは普通に歌ってたりして、興味深いですね。

そしてヘロデ王ヘロデ王ユダヤの王で、ジーザスを罰しろと送られてくるんですが、なんかめっちゃマイペースで1曲ノリノリのライブを披露した後、ジーザスなんて知らねえって言ってどっか行っちゃいます。めちゃくちゃシュールで面白いですよ。特に人物について言うことはないんですけど。

最後にペトロ。こいつは有名ですね。「ニワトリが鳴く前に3度ジーザスを知らないと言うだろう」と予言されるやつです。身を守るためにジーザスを知らないふりをして裏切ったという逸話ですね。まあぶっちゃけこいつに関して言うことはあんまなくて僕の考察不足なんですが、なんかこいつめっちゃマリアにデレデレなんですよ。なんでだろうね。

オススメの媒体

というわけで、この作品どこで観るねんということですが、私の一押しは2000年版のフィルムです。

 

 Amazon Videoみたいなやつで200円でレンタル視聴できます。すごくおしゃれな演出です。このバージョンは特にユダの演技が素晴らしくて、歌ってないときにも心情描写が散りばめられています。あとジーザスが歌うまい。例えば、下に貼ってるのはユダの裏切りが露見しジーザスと言い合いになるシーンです。

 


The Last Supper - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

 

 他にはこのバージョンもいいです。

こちらではジーザスがオーディション番組から選ばれたくそうまマンで、聞きごたえがあります。2000年版に比べて「現代的」というところに重きが置かれており、民衆の声としてツイッターが流れてきたり、使徒たちが地元ギャングみたいな服装だったりします。

 

オタク向け作品考察

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