elkurin’s blog

DTMか学業かその他の趣味を発露する日記

Jesus Christ Superstar のすすめ 〜オタク向け〜

僕の推しミュージカル Jesus Christ Superstarの紹介をしましたが、今回はよりオタク向けの見所ポイントを挙げます。聖書を少し嗜んでいる人向けの比較話とか、観たことある方でも面白い話をしたいと思います。あとミュージカルをあまり観たことないって方にもミュージカルオタクはこういう観方をしてるんやでというのが伝わるといいなと思います。

あらすじや軽めの紹介はこちら

elkurin.hatenablog.com

一番大事な話

ではまず僕がこの作品の中で一番象徴的な曲と思っている「ホサナ」という曲とそこからの一連の流れをみてみましょう。

ホサナという言葉はヘブライ語で「救い主」とか「救ってください」みたいな意味を持つ言葉で、僕も礼拝で歌ったり賛美歌コンクールで僕が編曲した歌に登場したりしました。聖書ではジーザスがエルサレムにやってきたときに民衆が叫んだ言葉みたいな扱いだったと思います。この曲もその場面を表現していますね。まあそんなことはどうでもいいんですよ。曲の中身を見ていきましょう。


Hosanna - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

まずは場面説明(知ってる人は飛ばしてくれ)。ジーザス(金髪の人)が民衆に讃えられている中、ファリサイ派(黒い服の人たち)がこいつら止めないとーと言っていますが、ジーザスは彼らに対しても教えを説こうとします。民を諭し愛を説き導こうとしますが、しかし民は力を得て気分が良くなっているのか、ジーザスに向かって"Fight for me!"(1:47参照)とか言い出します。ジーザスはユダ(革ジャンの人)にも手を差しのべますが、民衆はエスカレートしジーザスに"Die for me!"(2:36参照)とまで言い始めます。

ここで注目して欲しいのは"Smile at me!"(0:11参照) "Alright by me"(0:59参照) "Fight for me!"(1:47参照) "Die for me!"(2:36参照)の変遷です。セリフでいうと、「笑って」→「戦って」→「死んで」とエスカレートがすごいですね。Die for meの後にはユダの「だから言っただろ」みたいな表情が見られます。では次に音楽に着目して欲しいのですが、Smile at meやAlright by meの時は綺麗な和音がなっている一方、Fight for meとDie for meの時は後ろで「チャチャッチャチャッチャ チャチャッチャッチャチャ」てリズムのぶっ壊すような不協和音がなっているのが聞こえますか?曲調にも不釣り合いな破壊的な楽器選択です。終始幸せな調子で進められる曲の中で不気味に壊してくる旋律が響いているというのが、調子付いた民衆たちが自分も気づかずに暴走し始める歪さを表現し、また未来の崩壊を暗示している、素晴らしいですねえ。

このあと調子づいた民衆たちとファリサイ派の人たちによってジーザスにとっては本意ではないバトルフェイズが始まってしまいます。下の曲がそれ。


Simon Zealotes - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

この歌では、使徒の1人であるシモン(白い髪の人)「民衆はジーザスが言ったことに従うから、大量の民衆たちのローマへのヘイトを煽って戦わさせれば勝利と栄光を得られるだろう!」みたいなことを言ってるんですね。愛を説き許しを広めるジーザスにとって、戦争なんてものは当然思想の真反対です。この異常性に気づいているのはユダとマリアだけなんですよね。からのジーザスの説教です。


Poor Jerusalem - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

戦う気満々だった使徒と民衆たちはジーザスの平和的な説教に興が冷め、話中に散り散りに去って行ってしまいます。最後まで話に耳を傾けているのはユダだけと。自分たちが聞きたいこと以外聞かない、という民衆の姿が象徴的に描かれています。

聖書の逸話の登場の仕方

ところでマリアが高価な香油をジーザスにかけようとするとユダが止めるみたいな有名な聖書箇所があります。

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」(ヨハネによる福音書 12章)

めちゃくちゃ一方的に書かれていてユダファンの僕としては非常に腹立たしいのですが、この逸話もミュージカルに登場します。下の歌の1:30からの箇所です。赤い服の女性がマグダラのマリアです。


Everything's Alright - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

ユダが本気で貧しい人々を想う様子が描かれています。このあたりを見ていると、実はジーザスよりもユダの方が救い主としての向いていたんじゃないかなとちょっと思います。しかしユダとジーザスの「救い」の概念は微妙にずれています。

ユダは非常にストイックで、束の間の現実逃避すら許しません。彼の在り方は、少しでも救えるならば救うべき、というある意味現実的な救いを優先するものです。あくまで「人として」の振る舞いを重視するユダらしい選択です。彼はジーザスを信じていただけで、あまり宗教的な思想を持つ人ではないですね。この思想の方が無神教の日本人には共感しやすいんじゃないかなと思います。

一方ジーザスは「常に貧しい人はいるし彼らを全員助けることはできない、だから今ある良いことに目を向けなさい」(2:44参照)と主張します。なんか宗教っぽくなってきた。神から与えられたものをただ享受しろ、という教えは度々登場します。この「御心のままに」的な姿勢はユダにとっては理解し難く、またジーザスそのものを気に掛けるが故に危なっかしいと感じているわけですね。

この両者の微妙な食い違いが、聖書の逸話を交えて1曲の中に表現されているのはさすが脚本という気持ち。

最後の晩餐 The Last Supper

そしてキリスト教なーんも知らんって人でもこれは知っているでしょう。最後の晩餐もミュージカルに登場します。


The Last Supper - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

この曲ではユダが裏切ったことをジーザスが知り晩餐が始まります。最初は冷静に弟子たちに語りかけるんですが、3:10のあたりから人間的な取り乱し様を見せます。「こいつら俺が死んだらすぐ俺のことなんて忘れるんだ!」とか言ってますね。その後、聖書にもあるペトロの裏切り予言をし、そして4:04からユダと言い合いになります。この作品においてはユダやジーザスが自ら選んだ選択であるとともに、それらは全て神によって計画されていたという視点もあります。(僕もミッションスクール中学に入学したときは言われましたよ、「あなたが選んだのではない。神があなたを選んだのだ。」みたいなね。いや俺が優秀だから受験通ったんだよたわけと思ってました。)だからこそ、ユダの裏切りは神やジーザスも知るところ、さらに言うならば「望んだこと」であるという側面があります。ユダは「お前がそう望んだんだろ!」「お前のせいでこうなったんだ!」と責める一方で「もっと計画性を持ってうまく立ち回っていたらこんなことにならなかったのにどうして持て余すほどに事を大きくしてしまったんだ」とすがりつきます。うーーーん、もっとうまくいかなかったのかなあ。

そして曲の醍醐味としては、ユダとジーザスが言い合いをしてg-moll 5拍子の張り詰めた緊張感の中で歌っている一方、その最中に4:38からG-dur 4拍子ののっぺりした雰囲気の旋律が流れます。この呑気な曲はどんな歌詞かというと

Always hoped that I'd be an apostle
Knew that I would make it if I tried
Then when we retire we can write the gospels
So they'll still talk about us when we've died

 要は「僕たちも頑張れば使徒になれる!そしたら引退して福音書を書いて死んだ後も有名になれる」という歌です。呑気ですね。曲調も歌詞も呑気。この温度差がたまらない。ユダとジーザスの間にある緊張感をより引き立てているし、またジーザスの周りにいる人間がジーザスという人間そのものを対して気にかけていない呑気さみたいなものも垣間見得ます。この演出ではその場を収めようとするみたいな雰囲気が見られますね。演出によってはもっと酷くて、マジでその辺でヘラヘラ歌ってるだけみたいな薄情なものもあります。そしてこの曲の最後ではこれだけ不穏な感じでありながら、使徒たりはみんなスヤスヤ寝てしまいます。ジーザスは「誰も私とともに起きているものはいないのか」とか孤独感を募らせます。それまでは、色々不平ばっかりで煩わしい忠告も多いが、それでも確かにユダが常にそばにいました。この孤独感は辛いですね。。。

小ネタ

他にも語りたいシーンがたくさんあります。

聖書においては絶対的な悪役として描かれるファリサイ派ですが、彼らも自分たちの正義を貫いていたに過ぎない事がわかるシーンがあります。ユダが自殺してしまうシーン、その最後にはファリサイ派の人々がユダの自殺を止めようと集まってき、死んでしまった後はたくさんの信徒たちが追悼の歌を歌います。ジーザス側から見たら裏切り者のユダですが、ファリサイ派の人間からしたらただの駒ではなくユダヤ人を守るために力を貸してくれた仲間だったというわけですね。その後にジーザスへより強い罵倒を浴びせているのは、もしかしたらその恨みもあるのかもしれません。ジーザスに付いてきていた民衆よりも、ファリサイ派の信徒の方が実は冷静にユダヤ社会全体を見れていたのかもしれないですね。こういう言い方はあんまよくないかも知れませんが、ファリサイ派の信徒たちは当時でいうまあいいところ出身の人たちで、民衆は虐げられる側だったから、教育レベルの格差とかもあったかも知れないと思います。

他にもピラト総督のシーンは名シーンです。ジーザスをただ盲信する人たち、あるいはただ糾弾する人たちばかりの中、ジーザス自身と対話しようと試みるユダやマリア、その3人目の人物はピラト総督です。ローマから派遣された総督として、「ユダヤの王」とか名乗るジーザスは処罰しなくてはいけません。しかしただの無害の人間であるジーザスを殺したくないピラトは、ジーザスにその言葉を撤回するよう何度も諭します。それでも自ら死のうとするかのような発言をするジーザスに対し、「お前はどこから来たんだ、何を望んでいるんだ、どうやったら私はお前を助けられる」と語りかけます。すごく繊細で優しくて真面目な人ですね。めっちゃ好きなキャラです。

そしてこの真面目な作品の中で頭おかしい曲もあります。演出もイかれてるけどそもそも曲調の馴染まなさがすごい。ヘロデ王の前にジーザスが引き摺り出される場面なんですが、なんかもうストーリーとかどうでもいいんで面白いから見てみてください。


King Herod's Song - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

他にも色々あるし、後曲がめっちゃいいし、曲を味わう上で面白いところもちょっと文面で書くの難しいのでぜひ自分で観て楽しんでくださいね。