elkurin’s blog

銀英伝はいいぞ

ウエストサイドストーリー考察

Westside Story in Stage Around 2回目を観に行った。今回は考察を書いてみる。テーマはシャーク団とジェット団の比較。

 
シャーク団はベルナルドがボスではあるが、意見の代表をやってるという感じで、そんなに指示出したりメンバー抑えたりしてるシーンはない。全員の意識レベルが同じで自然にリーダーがいる感じ。だからメンバーはガラ悪かったり調子乗ってたりするけど行きすぎたことにはならないし、全員の民度が比較的マシだからトップを失っても組織としても強い。

 

一方ジェット団はすぐキレて暴れたり騒いだりする奴らをリフが1人で押さえつけていて、ダンスパーティーでもドクの店でも決闘の前も、チンピラには釣り合わない民度の高さを実現しようとしている。リーダーを失っても組織化してトニーへの復讐を計画するシャーク団に対して、ジェット団は警察バカにしてふざけてるだけだし、1人で来たアニータには10人くらいでレイプ未遂する始末。殺し合いの決闘の前ですら握手を求めたヤツが治めてたグループとはとても思えない。

 


この組織の差はどこから来たのか考察してみた。

 

  • 環境について。移民としてアメリカにやって来ざるを得なかったシャーク団たちはアメリカではよそ者扱いを受けるからこそ、団員同士の絆は強固。それに、移民として迫害される中自分たちのテリトリーを作る必要があったという生活的理由が非行化の大きな要因と想像され、自ら望んでチンピラピラピラしているわけではなさそう。
    一方ジェット団の面々は、元々アメリカにいた人々であり、シャーク団と違って自分から望んでやっている可能性が高い。また家庭環境も、シャーク団はプエルトリコでは平均的くらいだと思うけど、ジェット団はおそらくマンハッタンの最下層にあたるくらいで、その分民度も低めと予想される。生活レベルは同じだとしても、周りとの比較が本質だから、ジェット団の方が荒んでそう。
  • 次に年齢層。シャーク団の奴らは親元離れてよその国に来ており、またボスの妹に当たるマリアがジェット団のボスの親友と同世代であることからも、年齢層はシャーク団の方が上な気がする。ジェット団の方は、所詮親の元にいる間に遊んでいるにすぎない。
  • そして成り立ち。シャーク団がどうできたかについて明確な描写はないが、ジェット団はある程度劇中に説明されている。曰く、一緒にドクの店で育ったトニーとリフが思いつきで作ってみたが、しばらくしてトニーが大人になると言って離脱したのが、今のジェット団。リフの在り方や年齢からしておそらく以前のリーダーはトニーであり、リフはトニーが辞めてからリーダーになったわけだからまだ日が浅そうで、責任を果たさなくちゃと気負いすぎている。真面目すぎであり頑張っていい団にしようとしているが明らかに感性が他とずれていて、チンピラには不相応な理想を押し付けている感じになっている。それ故に、メンバーもボスに頼りきりになり、いざボスがいなくなると何もできずに悪ふざけしたり不満を発散したりするだけの脆弱組織になっているんだと思う。

 


ところでリフがなぜジェット団に固執するか。

先述の通り、リフはやたら礼儀正しい不良グループを作ろうとしている。めっちゃ敵対組織と握手しようとするし、警察のような権限もない学校の先生っぽい人の指示を無視する団員を諌めて自分は先陣を切って従うし、ダンスパーティーで下品なことしてるカップルを窘めたり、喧嘩の仕方もマナーがいいし、最後の決闘の時も仲間に近づくな!って叫んでるし、普通に不思議。あんまり不良向いてないからやめた方がいいと思う。どういう過去や背景があるかは知らんが、リフのトニー好きは劇中かなり目立つ。ジェット団の暴れん坊を堂々と押さえつけているカリスマ性があるのに、トニーの前では完全に弟分で何かあればすぐトニートニー、一緒に来てくれると分かった時の喜びようは無邪気な子供そのもの。守りたいこの笑顔。そのトニーと作ったジェット団と、その仲間たちと守っているシマはおそらくリフの全てであり、本来の性格とかにかかわらず執着し続けるんだと思う。シンプルにトニーの方が賢くて、リフは視野が狭いガキかつ仲間想い。こういう視野が狭くて不器用な真面目くんが俺は大好きなんや~~

ちなみにここからは個人的見解だけど、来日公演版のリフはかなり綺麗。言葉使いはノーブルなアメリカ英語で、いい教育を受けていることを感じさせる。敵対するグループの人に対してはバカにしたり貶めたりするやつらばっかりの中、リフは敵ボスのベルナルド以外に対してはそういったガラの悪いことはしない。綺麗でお上品だね。じゃあなぜ非行少年グループなんかにいるんだろう。その一つの結論として、彼は叔父から逃げたいという理由でトニーの家に転がり込んできたと言う設定があり、そのトニーが非行少年だったこと、そして叔父がヤバイ教育パパ系だったり、あるいは片親アメリカ人でポーランド系への差別があったりとかしたのかなあと想像したりしている。こういった各キャラの過去やバックグラウンドは作中全く描かれないからもう想像するしかないんだけどね。

WESTSIDE STORY in STAGE AROUNDの感想

今日(8/31)に観てきたウエストサイドストーリーがかなり良くて衝撃的だったので、これは記憶が薄れる前に感想を書かねばと思ったので感想を書きます。観劇してきたのは、「IHIステージアラウンド東京」という豊洲にある360度回転する斬新な劇場で3ヶ月近くにわたり公演されている来日公演です。当たり前ですが言語は英語です、が少しスペイン語も入ります。日本公演なのでちゃんと字幕も入ります。

https://t.pia.jp/pia/events/wss360/

以前Jesus Christ Superstarのすすめという記事を書いたんですが、意外と反響もあったので、シリーズ化してWestside Storyのすすめも書こうかなと思ってます。ので、今回はストーリー解説とかは抜きにしてただ感想を散文的に書きます。

見出しは特に書きたいことについて羅列しているだけなので、型は一致していません。

 

舞台演出について

今回見た劇場は、360度全方面舞台で、場面に応じて客席全体が回転するすごい舞台。だからこそ、小道具の出し入れとかがなきに等しい分舞台装置の作り込みがすごくて、映画並みの舞台背景を見ることができた。それにくるくる回っていく感じによって空間の広さを感じさせられ、また移動するシーンが本当に移動しているからこそ物語に入り込みやすく感じた。他にもいいことがあって、幅の広い舞台だから、1幕の最後ら辺のTonight(Quintet)では、アニータとかトニーがいる建物が別々に存在しながらも同じ舞台に収まっていて、場所の使い方がうめえなあという気持ちにさせられた。360度回転とか聞いた時アトラクションっぽくてチャラチャラしてんなと正直思ったけど、あのシアターはみんな一度見ておいた方がいい。舞台の概念が変わる。

序曲

ジェット団とシャーク団のケンカのシーンから始まる由緒正しい演出。まず序曲のタイミングで、オケが怪しくてあ〜〜〜頑張れ〜〜〜ってちょっと思ってたけど、正直あの序曲クソ難しいしまあ仕方ないと思いつつ、ケンカが始まる。

しかしケンカと言ってもいきなりバチバチの殴り合いをするわけではなくて、路上でジェット団とシャーク団が出会ったら、人数の多い方がイキり人数の少ない方が逃げて仲間を連れてくるの繰り返し。そして浮いた兵を大人数で刈り取るという傭兵学の初歩を実践しようとしたシャーク団のもとに、危機一髪仲間のジェット団が駆けつけて大乱闘スマッシュブラザーズが始まるという話。ウエストサイドテンプレの序曲演出ですね。今回も「戦いは数の多い方が勝つ」という世の真理を改めて確認しました。

この時シャーク団がやりがちの足上げるやつが、突然優雅なバレエで、違和感がすごかった。もっと上げる時は早く、下ろす時はゆっくりというキレのあるダンスが欲しかった。あと、馬跳び?をし合うシーン、ブロードウェイ本場で見たときと違って飛ばれる側がしゃがんでいてジャンプ力の足りなさを感じてしまった。あそこ直立している奴の肩の上を飛んで欲しかった。その2点が気になったけど、全般的にダンスのレベルは高くてすげえ興奮してた。というか観ながらニヤニヤしてた。あー!ウエストサイドが始まった!みたいな気持ちになって、やっぱり序曲は高ぶりますねえ。あと特筆すべきは演出のうまさで、最初に言った通り360度舞台が回転する形式だから、チンピラどもが道を歩いていく様子がうまく演出できていて、場所が移動していく感じがよく読み取れた。他のシーンになるけど、バイクを舞台上で乗り回してぐるぐる回ってたりもして、実際以上の広さを感じた。

 

Mambo!

シャーク団とジェット団の男女全員が揃って舞台に立ってるのはここ!ダンスパーティーのシーン!会場のジムは中立地帯だから決闘は始まらないけど、その代わりにダンスバトルが繰り広げられる名シーン。ここは歌手のはずがめっちゃガチガチに踊らないといけないやばいシーンなんだけど、特にジェット団のトップのリフと彼女がかなり高レベルで、足の伸びは綺麗だしアクロバットもすごいしかっけ〜ふぅ!いけージェット団!って気持ちになってた!

ダンスのパートナーをシャッフルしようって言って回るシーン、リフが真っ先に彼女の手を取りに行っててかっこいいぞ〜〜って心の中で叫んでた。けどあのシーン、指揮がかなり急いてて、もう少しタメを作ってもいいんじゃないかなあと思ってしまった。いやあでもバーンスタインって天才だね〜。いや本当に曲の展開とか聞いててなんでこんなにワクワクするんだろうって感じ。あんな作曲家になりたいね。

AmericaやCoolのダンスシーンも期待以上で、歌って踊れる俳優みたいなチートが大量発生していた。

 

歌手について

さて、とんでもなく難しいことで有名なウエストサイドストーリーだが、今回の歌い手陣はどうだったかというと。

まずトニー。Something's comming, Maria, Tonightと、難曲ぞろいの鬼畜な役。トップスターでもろくに歌いこなせないような曲が並んでいたが、なんと音程完璧。ちょっとビブラート激しすぎかなと思うシーンもあったけど全般的には声質も重厚で最高。ただ弱音が苦手っぽくて、Something's commingの最後とか弱音で長く出さないといけないあたりがデカくなりがちかなあと感じた。でも期待以上。

次にマリア。こちらもTonightの冒頭部分という難パートを抱えているが、残念ながらここの音程はかなりマズくて、Tonight聞いてる時はあ〜〜トニーがせっかくうまいのに〜〜と思わざるを得なかった。しかしその評価は2幕で修正。確かに中低音の難しいパートの音程が怪しかったが、高音は圧巻。I feel prettyの最後にブロードウェイ版と同じく超高音を出して周りのガールズを圧倒するおふざけシーンがあるんですが、オペラ歌手顔負け(まあマイクあるんだけどね)の迫力だし、出した瞬間からビシッと音程が決まってるし、拍手せざるを得なかった。他のシーンでも、高音はすごく美しく伸びていて、一番最後に倒れるトニーに歌い掛けるシーンは、あんな体勢だし準備もないのにいきなり小さくも芯のしっかりした高音が美しく響き渡り、文字通り時が止まったようなシーンに完成していた。

まあ他はいいかな。歌手として突出していたのはやはりトニー。アニータは俳優としてすごく評価が高い。

リフの役作りについて

ところで、今回のリフにかなり興味を抱いたので。

ジェット団のボスであるリフ。兄貴分のトニーをめちゃくちゃ信頼していて、トニーがジェット団から抜けて他のメンバーが抜けたやつなんて知らんみたいな雰囲気になっても頼っており、ボスにしては女々しいやつみたいな雰囲気があったリフ。しかし、今回の役作りは私に新しい解釈を与えたので書いていく。

リフは叔父の元で暮らすのが嫌すぎて飛び出してきて、トニーが住むドクの店に居候している設定だが、こいつ実はいい子なんじゃね?説が浮上した。まず、かなり英語が綺麗で野蛮な喋り方じゃないし発音も砕けてない、リスニングかみたいな明快な発音でちゃんとした出自を感じさせる。ちなみに彼のアメリカ英語が大好きなので、アメリカ英語推しに乗り換えます。

そして、性格。Coolの曲ではすぐに挑発に乗ってピーピー喚く仲間をなだめ諌める様子が書かれるが、今まで見ていた演出ではカッコよく決めようぜみたいなノリで特に深い考えがあるわけじゃなかったように感じていた。しかし今日のCoolは本気で仲間の身を案じ、リーダーとして導いているなあという風に見えた。確かに喧嘩シーンでも、威圧してシャーク団を追い返すことはあっても、敵を嘲笑ったりバカにしている反応は見つからなかった(見落としていただけかもしれない)。決闘しようにも必ず握手しようとこだわるし、1幕の最後の決闘のシーンでも、ベルナルドはナイフで手遊びしてイキったり仲間の近くに固まってヘラヘラしている一方、リフはいたって真面目で調子に乗ることもないし、むしろ仲間のジェット団がいない方向に位置どりして巻き込まないようにしている(トニーから遠ざかる意味合いもあったと思うけど)ように感じた。リフがキレるタイミングはいつもトニーに暴行を振るわれたタイミングであり、以上のことを鑑みると、ただの仲間思いのいい子だけど仲間になったのがたまたまチンピラだったからチンピラのボスになったやつじゃないか?という結論に至った。

もともとジェット団推しで、今日もブロードウェイで入手したジェット団Tシャツを着ていった身としては、このリフは推さざるを得ないし、もう一度見にいって新たな発見を探しに行きたいと思う。

 

これくらいかなあ。

国際学会で発表してきました@韓国

4/18-4/21の間、AAAC 2019 〜The 12th Annual Meeting of the Asian Association for Algorithms and Computation〜 という学会に参加するために韓国の延世大学というところに行ってきました。(http://toc.yonsei.ac.kr/aaac2019/)

延世大学は韓国の慶應大学とも言われているらしくて、土地の使い方が贅沢で庭だらけベンチだらけのくそ広い大学でした。

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他の大学の方々は結構教授とか助教の方が一緒で団体行動感があったんですが、うちは学生だけしか参加せずM1の2人でぽいーと投げ出されて読み方すらわからん文字だらけの国をうろちょろしていました。学会も初めてで勝手もわからんなあと思いながらも、弊研のもう一人は海外でも余裕そうだったのでそういうもんか〜と僕も頑張って韓国を彷徨ってきました。言葉もわからん海外に一人で放り出されたのは初めてで生きていけるんかと心配(多分親の方が心配)でしたが意外となんとかなるもんで、その時の感想とかを書きます。

自分の発表の話

学会で発表した内容は卒論の内容+αで、"Fixed Parameter Tractability of Minimum k-Path Vertex Cover with Treewidth and Branchwidth"というタイトルで発表させてもらいました。ざっくりいうと、Vertex Cover問題の拡張版であるk頂点からなるパスを全部カバーする頂点被覆を探そうというNP困難問題があって、これを解くFPTアルゴリズムを今までと異なるパラメータで作ったというお話です。

僕の研究と近い研究をされていた先生がいらしたので、その方と意見交換できてとても良かったです。

弊研は結構プレゼンを熱心に指導してくれるところなので、何度も発表練習を教授が指導してくれて、日本を発つ当日にも午前に発表練習を見てもらいました。発表練習中も弾丸トークをやめろと言われ続けていたので、当日は自分的にはゆったりめで話して、特に内容が転換するタイミングではちょっと間をおいて"Now I move on to hogehoge"みたいな感じで喋ろうとしていたのですが、結局うまくできていたかわかんないです。ただ終わった後に数名に「英語うまいですね」と話しかけられて初対面の方との交流のきっかけになったのでよかったです。こんなことでも話の種になるんだなあと思ったと同時に、英語圏に行ったらあたりまえ体操なので他のアイデンティティが必要だなあと思いました。

他の人の発表の話

僕と弊研のもう一人はどっちもM1だったんですが、結構助教の方とかの発表も多くて、SODAに通ってる論文の発表もしている方もいました(AAACは学会として論文は出しておらず、アブストの提出だけにすることで他の学会にも同内容の論文を提出していいよという形式の学会です)。

学会は同時に2セッション行われていたので、僕と弊研のもう1人とで違うセッションを聞きに行き、休憩時間に内容の情報交換をしました。

僕の中で一番好きだった発表は、いっぱいワイヤーがあってこれらのうちどの2本を何回ひっくり返すのかみたいな情報が与えられている中で、1回の操作を今あるワイヤーの任意の隣り合うものをひっくり返す(1と2をひっくり返す、3と4をひっくり返すみたいな独立なswapを複数同時にしてもいい)こととして、出来るだけ少ない操作でひっくり返す時の最適解を求めるみたいな問題を解いた発表でした。

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出典: https://arxiv.org/pdf/1901.06548.pdf

問題設定がシンプルでそれまだ解けてないんだーみたいなのが結構びっくりだったのと、発表がうまかったので聴きながら色々考察が進みました。ちなみに、swapの最適解を求める問題はNP困難だと今回示すことに成功しているそうですが、そもそも与えられたswapの列がfeasibleか(そのようなswapを満たすものが存在するか)はNP困難かまだわかんないみたいでopen-problemだそうです。すなわちワイヤー1,2,3がその順番で初期状態並んでいる時、(1,3)のみswapしなさいというお題はnot feasibleです。1,3をswapするためには2を交差しないといけなくて、すると(2,3)とかいう新しいswapが生まれて条件を満たさないので。

他に僕が興味があるのは、発表中ではワイヤーの初期順番固定の設定だったんですが、初期順番も任意に設定できるとすると全ての組み合わせがfeasibleになったりしないかなあとか考えています。自明な反例が今のところなさそうだなあと学会の間考えたりしていました。

arxivに論文が上がってます→https://arxiv.org/abs/1901.06548

 

他にも面白かった発表は結構あって行った甲斐があったなあと思いました。ただ正直なことを言うとプレゼンがなかなかヤバい人が少なからずいて、論文を貼り付けたようなスライドを原稿代わりにしているみたいな発表をしている人が数名いました。弊研の教授がいつもおっしゃっている「研究内容が良くても発表がダメだったら誰も聞かん」と言うのを身に沁みました。実際その通りで、スライドに定義とか数式とかをぐちゃぐちゃ書いてそれを読み上げているみたいな発表は、自分が既に興味を持っている分野とか詳しい範囲でもない限り理解が追いつかないしそもそも聞かんという感じでした。ちゃんとプレゼンを大事にしていこうと思います。

多分大事なのは、厳密な定義とかじゃなくてイメージや直感を伝えることだと思いました。これから意識していこうと思います。

交流の話

学会は発表と発表の間にcoffee breakがあったり、夜にbanquetがあったりと結構他の研究者の方とお話しする機会があって、普段知らない人がいっぱいいたら部屋の隅でtwitterしてるような人間の僕ですが、trip reportという報告書を弊研に出さないといけないという義務感が勇気になっていろんな人に話しかけたり質問しに行ったりできました。動機不純かもしれないけどそんなの知ったこっちゃないしいいきっかけをもらった思います。こういう時に質問とかがすっと英語でできたのはよかったです。ほっとくと鈍るのでこれからも定期的に英語喋る環境に行こうと思います。

また、現在韓国にいらっしゃる弊研の先輩にもお会いして、お話ししたり韓国料理店に連れて行ったりしてもらえました。

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観光の話

普段引きこもりの僕がびっくりするほど積極的に動き回って自分でもびっくりしました。このびっくりを共有します。

学会1日目の夕方以降は特にイベントもなくまだ始まってもないから新しく知り合った人もおらず、弊研のもう一人は学食でいいとか言ってるので仕方ないから一人で明洞という街に行ってみようとしました。いやしかしこれが行くのが大変大変。Googleマップで検索するとバスが出てくるんですが、なんかいろんな色のバスがあってでも同じ色でも行き先とかが違って、同時にたくさんのバスが来るからどれが正しいかもわかんなくて、乗りそうな意思を見せないとドアすら開かずに通り過ぎて行くから瞬時に判断する能力が必要なんですよ。しかもいくら払うのかもどこで払うのかもわかんないから後ろの人とかに迷惑かけそうだしそもそも乗っても韓国語ばっかで正しい方向にいってるかもわかんないし、変なとこ行ったら帰って来るのも厳しいしこりゃ無理だと思い、バス停付近で挙動不審にバスを7本くらい見送ってから諦めました。もうひきこもるか…と諦めていたところ、神女同期が延世大学になんと留学したことがあったらしいと聞き「助けてーー」と助けを求めたところ、初心者にバスは無理だから電車乗れという訓示をいただき、少し歩いて新村駅から電車に乗ることにしました。駅に着くとなんと券が買えない!と思ってうろうろしていたんですが、券売機っぽいもので日本語を選択できて最強になりました。日本語の路線図だと漢字で書きがちなんですが、だいたい駅の表示は韓国語と英語読みで漢字じゃわかんねえよ!!とキレ気味でしたが、無事方面も間違えずに乗り換えもちゃんとやって明洞に着きました!この時点ですでに引きこもりの僕はヘトヘトで、明洞の場所登録できたから一旦拠点帰って明日ルーラで来よう…みたいな気持ちでした。これを読んでいる中で起業したいけどネタで困っているよって方がいらっしゃいましたら、ぜひルーラを作ってください。

さて、明洞に着きました。明洞といえば食べ歩きらしいので、とりあえず韓国に行ったことがある友人が進めていたチーズホットグというチーズを揚げてケチャップとかつけて食べるジャンクフードを食べました。美味しかったです。けど一人でケチャップこぼしそうになりながら食べ歩きしてるのはちょっと恥ずかしかったです。今度2人以上で行きたいと強く思いました(これは伏線です)。なので1個で社会性ポイントが枯渇しました。

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そして、わざわざこんな苦労してまで引きこもりの僕が明洞に来ようと思った理由は、明洞実弾射撃場に行くためだったんですね。そういうわけで射撃場に行きました。射撃場がある建物はすぐ見つかったんですがなかなか入り方がわからなくて、結局建物の裏口みたいなところから警備員さん的な人がいるところを通るちょっと秘密通路みたいなところから行けました。ワクワクしましたがやっぱり一人で行くと裏口に入る勇気を手に入れるまでに3回くらい覗いてはここで合ってるかなあ〜一旦戻ろを繰り返しました。お値段は10発4000円でワルサーP38を選んで撃ちました。とても楽しかったです。平均より点数がだいぶ高く結構上手かったらしくて受付の人に褒められました。次は反動重めの銃を撃ってもいいですねと言われました(これは伏線です)。ここで外出ポイントを使い果たし、僕自身も目的を達成して満足したのでホテルに帰宅しました。行きは電車の乗り方がよくわからんくて大変だったんですが、帰りは勝手もわかったので余裕で帰れました。

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これがえるたそひとり旅の概要です。しかし社交的な僕の旅はここでは終わりません。

学会最終日、全ての学会イベントが終了し解散になった後、東工大や九州大、そして東大の他の研究室の方と一緒にご飯でも行くかーとなりました。弊研のもう一人はやっぱりソロ観光に行ってしまったので、僕は、すでに知り合いがいる同士の人のコミュニティーに部外者が一人で乗り込んで行くという僕にしては勇気ある行動を取りました。完全に陽キャです。けどみなさん社交的なので余裕で馴染めました。そして焼肉を食べました。

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しかももっとすごいことがあるんですが、飛行機の時間まで結構時間あるねーということでどうしようかとなった時、なぜか僕が率先して数理情報の方々を案内して明洞行ったんですね。完全に陽キャです。と言うわけで明洞セカンドが実行されました。すでに行っているので僕がだいぶ勝手を知っており、1日目とは違ってスムーズに観光に成功しました。ちなみに数理情報の方の中でとても名前がかっこいい女の子がいたんですが、射撃場があると言うとその子が行きたい行きたいと言ってくれて感動しました。で、2日ぶり2度目でまた射撃場行きました。僕は今度はちょっと重めのベレッタを撃った(伏線回収)んですが、上下ブレがすごくてP38撃ちやすかったなーと思いました。そしてそのまま食べ歩きゾーンに行き、今度は団体行動だったので食べ歩きも恥ずかしくなく(伏線回収)、僕はバナナクレープとチョコがけいちごとアイスたい焼き(なにそれ)を食べました。インスタ映えです。数理情報の方々曰く、前来た時はまっ昼間でまだ屋台とかが全くなくつまんなかったので連れて来てもらえてよかったと言ってもらえました。教授の方が娘さんのためにディズニーの靴下を屋台で買っていらしてほっこりしました。

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そんなこんなで飛行機時間になり帰宅したんですが、そこでもイベントが発生しました。僕はその日銀英伝カフェでゲットしたローゼンリッター上着を着用していたんですが、そのロゴをみて数理情報の女の子が「これもしかして銀英伝?」と聞いてくれて、そうなんです〜〜〜〜!!!!!!!と韓国一テンションが上がりました。いつも野生の銀英伝人を探すために着ているのですが初めて言われたのですっごくすっごく嬉しかったです。韓国に行ってよかったです。

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以上が僕のすごい積極性日記でした。

あとツイのオタクどもがお土産お土産うるさいので、美容パックをたくさん買って帰りました。きっとみんなすごく喜んでくれると思います。

総括

韓国最高!銀英伝最高!

 

 

Jesus Christ Superstar のすすめ 〜オタク向け〜

僕の推しミュージカル Jesus Christ Superstarの紹介をしましたが、今回はよりオタク向けの見所ポイントを挙げます。聖書を少し嗜んでいる人向けの比較話とか、観たことある方でも面白い話をしたいと思います。あとミュージカルをあまり観たことないって方にもミュージカルオタクはこういう観方をしてるんやでというのが伝わるといいなと思います。

あらすじや軽めの紹介はこちら

elkurin.hatenablog.com

一番大事な話

ではまず僕がこの作品の中で一番象徴的な曲と思っている「ホサナ」という曲とそこからの一連の流れをみてみましょう。

ホサナという言葉はヘブライ語で「救い主」とか「救ってください」みたいな意味を持つ言葉で、僕も礼拝で歌ったり賛美歌コンクールで僕が編曲した歌に登場したりしました。聖書ではジーザスがエルサレムにやってきたときに民衆が叫んだ言葉みたいな扱いだったと思います。この曲もその場面を表現していますね。まあそんなことはどうでもいいんですよ。曲の中身を見ていきましょう。


Hosanna - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

まずは場面説明(知ってる人は飛ばしてくれ)。ジーザス(金髪の人)が民衆に讃えられている中、ファリサイ派(黒い服の人たち)がこいつら止めないとーと言っていますが、ジーザスは彼らに対しても教えを説こうとします。民を諭し愛を説き導こうとしますが、しかし民は力を得て気分が良くなっているのか、ジーザスに向かって"Fight for me!"(1:47参照)とか言い出します。ジーザスはユダ(革ジャンの人)にも手を差しのべますが、民衆はエスカレートしジーザスに"Die for me!"(2:36参照)とまで言い始めます。

ここで注目して欲しいのは"Smile at me!"(0:11参照) "Alright by me"(0:59参照) "Fight for me!"(1:47参照) "Die for me!"(2:36参照)の変遷です。セリフでいうと、「笑って」→「戦って」→「死んで」とエスカレートがすごいですね。Die for meの後にはユダの「だから言っただろ」みたいな表情が見られます。では次に音楽に着目して欲しいのですが、Smile at meやAlright by meの時は綺麗な和音がなっている一方、Fight for meとDie for meの時は後ろで「チャチャッチャチャッチャ チャチャッチャッチャチャ」てリズムのぶっ壊すような不協和音がなっているのが聞こえますか?曲調にも不釣り合いな破壊的な楽器選択です。終始幸せな調子で進められる曲の中で不気味に壊してくる旋律が響いているというのが、調子付いた民衆たちが自分も気づかずに暴走し始める歪さを表現し、また未来の崩壊を暗示している、素晴らしいですねえ。

このあと調子づいた民衆たちとファリサイ派の人たちによってジーザスにとっては本意ではないバトルフェイズが始まってしまいます。下の曲がそれ。


Simon Zealotes - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

この歌では、使徒の1人であるシモン(白い髪の人)「民衆はジーザスが言ったことに従うから、大量の民衆たちのローマへのヘイトを煽って戦わさせれば勝利と栄光を得られるだろう!」みたいなことを言ってるんですね。愛を説き許しを広めるジーザスにとって、戦争なんてものは当然思想の真反対です。この異常性に気づいているのはユダとマリアだけなんですよね。からのジーザスの説教です。


Poor Jerusalem - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

戦う気満々だった使徒と民衆たちはジーザスの平和的な説教に興が冷め、話中に散り散りに去って行ってしまいます。最後まで話に耳を傾けているのはユダだけと。自分たちが聞きたいこと以外聞かない、という民衆の姿が象徴的に描かれています。

聖書の逸話の登場の仕方

ところでマリアが高価な香油をジーザスにかけようとするとユダが止めるみたいな有名な聖書箇所があります。

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」(ヨハネによる福音書 12章)

めちゃくちゃ一方的に書かれていてユダファンの僕としては非常に腹立たしいのですが、この逸話もミュージカルに登場します。下の歌の1:30からの箇所です。赤い服の女性がマグダラのマリアです。


Everything's Alright - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

ユダが本気で貧しい人々を想う様子が描かれています。このあたりを見ていると、実はジーザスよりもユダの方が救い主としての向いていたんじゃないかなとちょっと思います。しかしユダとジーザスの「救い」の概念は微妙にずれています。

ユダは非常にストイックで、束の間の現実逃避すら許しません。彼の在り方は、少しでも救えるならば救うべき、というある意味現実的な救いを優先するものです。あくまで「人として」の振る舞いを重視するユダらしい選択です。彼はジーザスを信じていただけで、あまり宗教的な思想を持つ人ではないですね。この思想の方が無神教の日本人には共感しやすいんじゃないかなと思います。

一方ジーザスは「常に貧しい人はいるし彼らを全員助けることはできない、だから今ある良いことに目を向けなさい」(2:44参照)と主張します。なんか宗教っぽくなってきた。神から与えられたものをただ享受しろ、という教えは度々登場します。この「御心のままに」的な姿勢はユダにとっては理解し難く、またジーザスそのものを気に掛けるが故に危なっかしいと感じているわけですね。

この両者の微妙な食い違いが、聖書の逸話を交えて1曲の中に表現されているのはさすが脚本という気持ち。

最後の晩餐 The Last Supper

そしてキリスト教なーんも知らんって人でもこれは知っているでしょう。最後の晩餐もミュージカルに登場します。


The Last Supper - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

この曲ではユダが裏切ったことをジーザスが知り晩餐が始まります。最初は冷静に弟子たちに語りかけるんですが、3:10のあたりから人間的な取り乱し様を見せます。「こいつら俺が死んだらすぐ俺のことなんて忘れるんだ!」とか言ってますね。その後、聖書にもあるペトロの裏切り予言をし、そして4:04からユダと言い合いになります。この作品においてはユダやジーザスが自ら選んだ選択であるとともに、それらは全て神によって計画されていたという視点もあります。(僕もミッションスクール中学に入学したときは言われましたよ、「あなたが選んだのではない。神があなたを選んだのだ。」みたいなね。いや俺が優秀だから受験通ったんだよたわけと思ってました。)だからこそ、ユダの裏切りは神やジーザスも知るところ、さらに言うならば「望んだこと」であるという側面があります。ユダは「お前がそう望んだんだろ!」「お前のせいでこうなったんだ!」と責める一方で「もっと計画性を持ってうまく立ち回っていたらこんなことにならなかったのにどうして持て余すほどに事を大きくしてしまったんだ」とすがりつきます。うーーーん、もっとうまくいかなかったのかなあ。

そして曲の醍醐味としては、ユダとジーザスが言い合いをしてg-moll 5拍子の張り詰めた緊張感の中で歌っている一方、その最中に4:38からG-dur 4拍子ののっぺりした雰囲気の旋律が流れます。この呑気な曲はどんな歌詞かというと

Always hoped that I'd be an apostle
Knew that I would make it if I tried
Then when we retire we can write the gospels
So they'll still talk about us when we've died

 要は「僕たちも頑張れば使徒になれる!そしたら引退して福音書を書いて死んだ後も有名になれる」という歌です。呑気ですね。曲調も歌詞も呑気。この温度差がたまらない。ユダとジーザスの間にある緊張感をより引き立てているし、またジーザスの周りにいる人間がジーザスという人間そのものを対して気にかけていない呑気さみたいなものも垣間見得ます。この演出ではその場を収めようとするみたいな雰囲気が見られますね。演出によってはもっと酷くて、マジでその辺でヘラヘラ歌ってるだけみたいな薄情なものもあります。そしてこの曲の最後ではこれだけ不穏な感じでありながら、使徒たりはみんなスヤスヤ寝てしまいます。ジーザスは「誰も私とともに起きているものはいないのか」とか孤独感を募らせます。それまでは、色々不平ばっかりで煩わしい忠告も多いが、それでも確かにユダが常にそばにいました。この孤独感は辛いですね。。。

小ネタ

他にも語りたいシーンがたくさんあります。

聖書においては絶対的な悪役として描かれるファリサイ派ですが、彼らも自分たちの正義を貫いていたに過ぎない事がわかるシーンがあります。ユダが自殺してしまうシーン、その最後にはファリサイ派の人々がユダの自殺を止めようと集まってき、死んでしまった後はたくさんの信徒たちが追悼の歌を歌います。ジーザス側から見たら裏切り者のユダですが、ファリサイ派の人間からしたらただの駒ではなくユダヤ人を守るために力を貸してくれた仲間だったというわけですね。その後にジーザスへより強い罵倒を浴びせているのは、もしかしたらその恨みもあるのかもしれません。ジーザスに付いてきていた民衆よりも、ファリサイ派の信徒の方が実は冷静にユダヤ社会全体を見れていたのかもしれないですね。こういう言い方はあんまよくないかも知れませんが、ファリサイ派の信徒たちは当時でいうまあいいところ出身の人たちで、民衆は虐げられる側だったから、教育レベルの格差とかもあったかも知れないと思います。

他にもピラト総督のシーンは名シーンです。ジーザスをただ盲信する人たち、あるいはただ糾弾する人たちばかりの中、ジーザス自身と対話しようと試みるユダやマリア、その3人目の人物はピラト総督です。ローマから派遣された総督として、「ユダヤの王」とか名乗るジーザスは処罰しなくてはいけません。しかしただの無害の人間であるジーザスを殺したくないピラトは、ジーザスにその言葉を撤回するよう何度も諭します。それでも自ら死のうとするかのような発言をするジーザスに対し、「お前はどこから来たんだ、何を望んでいるんだ、どうやったら私はお前を助けられる」と語りかけます。すごく繊細で優しくて真面目な人ですね。めっちゃ好きなキャラです。

そしてこの真面目な作品の中で頭おかしい曲もあります。演出もイかれてるけどそもそも曲調の馴染まなさがすごい。ヘロデ王の前にジーザスが引き摺り出される場面なんですが、なんかもうストーリーとかどうでもいいんで面白いから見てみてください。


King Herod's Song - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

他にも色々あるし、後曲がめっちゃいいし、曲を味わう上で面白いところもちょっと文面で書くの難しいのでぜひ自分で観て楽しんでくださいね。

 

Jesus Christ Superstarのすすめ

それなりにミュージカルオタクを名乗っている僕が推す三大ミュージカルの1つ、Jesus Christ Superstar 〜ジーザス・クライスト・スーパースター〜 がなんと来日するということで、僕的なおすすめ要素を紹介します。音楽はアンドリューロイドウェバー作であることから自明に素晴らしいので、この記事では音楽の面よりもストーリー重視で書きます。

公演情報はこちら→ https://theatre-orb.com/lineup/wmcs/

ちなみに僕が推す三大ミュージカルは「オペラ座の怪人」、「ウエストサイドストーリー」、「ジーザスクライストスーパースター」の3つです。

なんの話なのか

タイトルにある通り、ジーザス・クライスト(日本語ではイエス・キリスト)の話なんですが、主にジーザスと裏切り者のユダを中心に、ジーザスの最期の7日間を現代的な目線で描いたミュージカルです。この現代的な目線というのがポイントで、いわゆる宗教的というか形式的な雰囲気の物語ではありません。むしろ、キリスト教という原作から作られた、より現代の人間が感情移入しやすいようにリメイクされた二次創作みたいな感じです。慕っているが故に裏切るとか大切にしたいのに挑発的な言い方しかできないやつとかたくさんの人に囲まれているのに自分の言葉を聞いているのは1人しかいないしそいつが裏切るとか不器用な生き方しかできない人たちとか歴史の悪役にも彼らの視点の正義を描くとかが好きな人は好きだと思います。ちなみに僕は全部好きです。

弱きを助け神の教えを説くジーザスを民衆は「神の子」と崇め救いを求めるが、ジーザスをひとりの人間として慕い支えてきたユダは民衆の盲目的な信仰を危険視し、当時権益を握る宗教関係者たちファリサイ派の反感を買ってユダヤ人そのものが潰されるのではないかと危惧し始めます。神の教えを説いて人々に救いを与えたいという純粋なジーザスは、ファリサイ派の動きなどに注意を払わずただ善行を行おうとするが、ある意味で計画性のない振る舞いは民衆に過剰な期待を与えだんだんおかしな方向に流れていき、ついには「戦おう!」「この民衆の力でローマを支配しよう!」などとジーザスの平和的な教えとは正反対の方向に向かっていきます。このままではジーザスが導いてきたユダヤ人社会が危険にさらされる、今までの善行すら無に帰してしまう、「神の子」だから信じてきた民衆たちもジーザスが「人の子」と知れば彼らの失望と怒りで潰されてしまう、そう考えたユダはジーザスをファリサイ派に売り飛ばし、「神の子」として死んでもらう決断をします。一方で、ジーザスは民衆に神の教えを説いても都合の良い部分しか皆聞かず、それでも「神の子」として民衆を導こうと苦悩しています。死を予見した際にはこんな役目を押し付けた神に怒りを向けるシーンも見られ、非常に人間的な存在として描かれています。「神の子」としての責務を全うしようとするジーザスと、ジーザスを想うが故に裏切る選択肢を取るユダの複雑な関係をメインに描いた人間物語です。さらにジーザスをただ純粋に愛するマグダラのマリアや様々な立場の人間の在り方も描かれ、人間考察好きのオタクにはとても味わい深い作品です。 

一応元ネタ(読まなくてもいいよ)

聖書などでの一般的解釈をあり得ん簡単に書きます。当時宗教が形骸的なものに成り下がり、真に神を信じるということを説くために「神の子」であるジーザスが民衆に神の教えを説き始めます。例えば、当時は罪があるから病にかかるとされ罪人と差別されていた病人たちを助けて回ったりと弱きを助ける感じの活動を始めます。だんだん活動規模が大きくなると共に、12人の使徒を弟子に加え宣教を進めます。しかしジーザスの教えは権益を握っていた宗教のお偉いさんたちにとって迷惑なもので、敵対勢力もジーザスを排除しようと動き始めます。そんな中、以前から度々不平を言っていた弟子の1人ユダが裏切って金欲しさにジーザスを売り、そのままジーザスは処刑されてしまいます。しかしその死をもってジーザスは父である神に赦しを乞い、まあなんか人類の罪を昇華します(ここの解釈はまちまちなので、なんかいいことしたみたいな感じでいいと思います)。

これが一般的な聖書の解釈ですが(宗教屋の方に怒られそう、、、勘弁🙇‍♂️)、これはあくまでジーザスの使徒たちが残した福音書によって描かれたストーリーです。なので、ジーザスはただの素晴らしい人で、ユダはただの裏切り者となっていますね。これが普通の解釈なので、このミュージカルが発表された当時はそれはもうキリスト教徒の方々は激おこぷんぷん丸でプラカードだらけのデモが行われたそうです。

僕は中高がミッションスクールで毎朝礼拝があり毎週聖書の授業を受けるというゴリゴリのクリスチャンで育ったんですが、中学生特有の反抗期(および銀英伝の地球教へのヘイト)のため「宗教なんてすべからく許さん!」みたいな時期で、

キリスト教は、最高権力者を宗教的に洗脳することで、 古代ローマ帝国を乗っ取るのに成功したのだ。それ以後、キリスト教がどれほど悪辣に他の宗教を弾圧し、絶滅させたか。そしてその結果、一つの帝国どころか文明そのものを支配するにいたった。これほど効率的な侵略は類を見ない。(アドリアンルビンスキー)

ユリアン、ノアの洪水の伝説を知っているだろう? あのときノアの一族以外の人類を抹殺したのは、悪魔ではなく神だ。これにかぎらず、一神教の神話伝説は、悪魔でなく神こそが、恐怖と暴力によって人類を支配しようとする事実を証明している、と言ってもいいほどさ(ヤン・ウェンリー)

 という感じでアンチキリスト教時代でした。そんな時にジーザスクライストスーパースターと出会いました。この作品を通して、ジーザスとかそういう聖書の人たちはゆうて僕らと同じ人間なんだと考えるようになり、キリスト教とも仲良くなりました。クリスチャンではないんですけどね。

そもそもミュージカルが無理という方へ

そもそもミュージカルが好きじゃないという話を何度か聞いたことがあって、「なんで突然歌い始めるんだ」という意見が多数のようです。そういう方々、この作品は心配ありません。最初から最後までずっと歌っているので突然歌い始めることはありません。はい。

話はすごく練りこまれているので、別に音楽とか好きじゃない、ミュージカルとか好きじゃないという方も、ストーリーとして楽しめる作品になっていると思います。特に考察オタクにとっては意味深な歌詞や描写がたくさんあるので、かなり面白いんじゃないかな。キリスト教の教養があるとさらに面白いですが、別に知らなくても全く問題ないです。

人間紹介

それではより詳しい人物紹介をしていきます。内面に着目して書きますね。

ユダという人間

ユダは簡単にいうと不器用なひねくれ者です。聖書ではただ悪態をつく裏切り者と表層的に描かれているユダですが、このミュージカルでは悪態の裏にある真意とか行動の動機が全て意味付けされています。

ユダは最もジーザスを人として敬愛しその言葉に耳を傾けていました。しかしジーザスが「神の子」であるということだけは信じなかったんですね。「人の子」として愛するが故に、彼の危うい生き方を心配し彼が傷付かないようにひたすら忠告し続けます。その言葉は無慈悲でもあり、ジーザスがマリアと過ごし心を安らげたいと望む時ですら無遠慮に突き刺さしてきます。しかも言い方は常に挑発的、皮肉的でなんでもっと素直に言えないねん!と思います。そういうところが好きなんだけどね。しかし、いかに都合の悪い言葉であろうとジーザスの言葉にはいつも真面目に時には涙を流しながら耳を傾けます。

苦悩の末にジーザスを売った後には、必要以上に痛めつけられるジーザスを見て取り乱しファリサイ派に乗り込んでいったりしますが、結局罪悪感に耐えきれられず、「ジーザスをどう愛していいかわからない」というマリアの歌をリプライズしながら自殺してしまいます。この際、こんな役目を与えた神への怒りを綴ります。こうなってくると、歴史の真の悪役は神では?みたいな気持ちになってきますね。

こんな感じで彼の行いは全て純粋にジーザスのためというのが動機になっています。ジーザスを愛し、ジーザスのためだけを考え、彼なりにまっすぐ行動を起こしてきているわけです。なんかこう、もう少し上手い感じにならなかったのかなあと思っちゃいますね。

ジーザスという人間

彼はひとりの人間には重すぎる責務を生まれた時から押し付けられ、純粋に頑張って生きた者と描かれます。聖書では完全無欠で非人間的な存在ですが、このミュージカルでは極めて人間的な苦悩が見えます。大量の病人に助けを求められて無理になり「自分で治せ!!」と叫んだり、責務を押し付けた神に「なんで私が死なないといけないんだ!てめえのせいだぞ!!」と怒ったり、ボケっとした使徒たちに対し「お前ら私のことなんかどうでもいいもんな!」とプンプンしたりします。また、民衆に教えを説いても都合のいいところしか聞かず、ただ欲望を満たしてくれるのを待つのみで「民衆のために戦ってくれ!」「民衆のために死んでくれ!」とエスカレートしていく一方なんですね。そんな中ジーザス自身を気にかけてくれる人が2人いました。それがユダとマリアです。

ユダについては上で長々と書きましたが、ジーザスはユダをどういう存在としていたのか。厳しい忠告ばかりかけてくるユダを煩わしいと感じながらも、「お前すら私をわかっていない!」と語りかけたり、ファリサイ派に売られてもなおユダを気にかけたりと、かなり思い入れがあるというか頼っているように読み取れます。自分の言葉が届かない、自分に頼るばかりで全然話を聞いてくれないとフラストレーションが溜まる中、ユダは分かってくれると甘えていた面もあったんだろうなと思います。もっと平和な世なら長い付き合いができそうな対等な親友になれそう。

一方でマリアは完全に癒し。ある意味でジーザスの弱い面を表している役だと思っていて、現実逃避したいときにマリアに縋っている感じですね。マリア自身はいつも苦悩しているジーザスを束の間でも安らげようと献身的に愛しています。このマリアですが、現代でいうと風俗嬢みたいな立場の女性なんですね。当然当時でも蔑まれる類の職種なんですが、そんな女性をも受け入れるジーザスの懐の深さもあってマリアは惹かれていき、仕事の枠を超えて尽くすようになります。ジーザスはただ現実逃避してるだけに見え、あまり特別な思い入れがある描写はないんですがどうなんでしょうね、僕にはよくわからん。

とまあ、こういう人間的な存在としてジーザスは描かれているのですが、これは全くジーザスを貶める作品ではなくて、我々人間と同じ感性を持ち同じ苦悩を抱えながらも人類を助けるために身を捧げたというところに僕はより素晴らしさを感じました。それまで学校でただの聖人としか習わず僕は全く興味のなかったジーザスも、僕らと同じ1人の人間と思うとなかなかすごい奴だなと思うんです。

名脇役たち

他にも皆それぞれの立場から真面目に生きています。

まずファリサイ派。彼らは聖書ではただの腐りきった既得権益として描かれますが、彼らもローマ帝国からユダヤを守るために彼らなりの正義を通しています。ジーザスの求心力によって抵抗勢力として力をつけすぎると、ローマが攻撃する口実を与えてしまいユダヤ社会そのものが破壊されてしまうと考えるんですね。そのため、これ以上力をつける前にジーザスを始末しようと企みます。この考えはユダと通じるものがあるので、ユダを取り込みジーザスを売らせます。こいつらの言うことも一理あるんで何が正義かよくわからなくなりますね。あと、ファリサイ派にはトップのカイアファ、その側近みたいなアンナスがいるんですが、こいつらがめちゃくちゃかっこいいんですよ。特にカイアファはバスとかバリトンのすごい低い声でかっこいいんですよ。

次にピラト。こいつは今まで言及していないんですが、ローマの総督でユダヤの監視役みたいなポジションです。聖書的な役割としてはジーザスに処刑を言い渡す人なんですが、このミュージカルでは彼にも味わい深いキャラクター付けがされています。ピラトは、ジーザスを処刑しその結果民衆からめっちゃ非難されるという悪夢を見ます。ピラトはローマ総督として強い厳つい感じを装っているんですが、実はとても繊細で優しい人間なんです。ジーザスを自分が殺してしまう予知夢を恐れ、ジーザスの裁判では必死に彼を助けようとします。しかし、ファリサイ派の人々に煽られ、ローマ総督としての立場に追い詰められ、結果的に「そんなに死にたいなら勝手に死ね!」とジーザスに死刑宣告を言い渡します。多分元の譜面に指定はないと思うんですが、多くの演出でピラト役はドイツ語っぽい変な語彙で歌うことが多いんですよ。なんですけど、このドイツ語っぽい語尾はあくまでローマ総督として強く振舞っているときに使われ、本来の繊細な人格が露わになるときは普通に歌ってたりして、興味深いですね。

そしてヘロデ王ヘロデ王ユダヤの王で、ジーザスを罰しろと送られてくるんですが、なんかめっちゃマイペースで1曲ノリノリのライブを披露した後、ジーザスなんて知らねえって言ってどっか行っちゃいます。めちゃくちゃシュールで面白いですよ。特に人物について言うことはないんですけど。

最後にペトロ。こいつは有名ですね。「ニワトリが鳴く前に3度ジーザスを知らないと言うだろう」と予言されるやつです。身を守るためにジーザスを知らないふりをして裏切ったという逸話ですね。まあぶっちゃけこいつに関して言うことはあんまなくて僕の考察不足なんですが、なんかこいつめっちゃマリアにデレデレなんですよ。なんでだろうね。

オススメの媒体

というわけで、この作品どこで観るねんということですが、私の一押しは2000年版のフィルムです。

 

 Amazon Videoみたいなやつで200円でレンタル視聴できます。すごくおしゃれな演出です。このバージョンは特にユダの演技が素晴らしくて、歌ってないときにも心情描写が散りばめられています。あとジーザスが歌うまい。例えば、下に貼ってるのはユダの裏切りが露見しジーザスと言い合いになるシーンです。

 


The Last Supper - 2000 Film | Jesus Christ Superstar

 

 他にはこのバージョンもいいです。

こちらではジーザスがオーディション番組から選ばれたくそうまマンで、聞きごたえがあります。2000年版に比べて「現代的」というところに重きが置かれており、民衆の声としてツイッターが流れてきたり、使徒たちが地元ギャングみたいな服装だったりします。

 

オタク向け作品考察

これを読んでもっと興味を持ってくださった方や、歌詞・音楽についてもっと読みたいと思ってくださる方はぜひこちらへどうぞ。

elkurin.hatenablog.com

 

Light Under the Darkness ~DTM自作曲1曲目~


Light Under the Darkness 【DTM】

(SoundCloudhttps://soundcloud.com/user-193952129/light-under-the-darkness)

DTMで作曲を始めてから1ヶ月弱、まともな曲としては1作目ができました。どんなことを考えて作ったか記録します。

曲のイメージはドラクエ11の登場人物ホメロスなんですが、ホメロスって誰だよという人に向けて端的にいうと「まっすぐで繊細であるが故に闇堕ちしたやつ」の心情をイメージしている曲と思ってもらえれば十分です。特にこのストーリーを描いたみたいなのではありません。

こういうイメージとか工夫しているところを音楽で伝えずに言葉にしてしまうのは野暮ったいと思うんですが、処女作なので自分の思考まとめとして書き下してみます。

 

最初の第一歩

物語が始まる感のある入りを作ろうと思ったのと、"Jesus Christ Superstar"というミュージカルの影響でロックギターの音が好きでロックギターで始まるオープニングをやりたかったので、とりあえず思うがままにギターを書いてみた。そしてオペラ座の怪人の序曲で「ダ、ダーン!」みたいなのをイメージしてオルガンの「ダ、ダダーン!」みたいなのを入れてみたら思ったより良かったので続きを書く気が起きて採用された。そして伴奏として僕お得意の「短調の中に長調の和音を入れまくる系」を追加して序曲感が出てきた。この辺から今のオープニングをベースにちゃんとした曲を作ってみようと思った。

メロディの生成

ちゃんとした曲を作るにあたって適当なサウンドじゃなくてちゃんと耳に残るような旋律を作りたい、と思ったがところで今までの人生変奏曲とか編曲ばかりでメロディらしいものを自力生成したことがないので困った。ロイドウェバー先生のスコアを買ってきて勉強しようとしたが、天才すぎて参考にならない。POP曲の作り方とかを検索していたら新しい概念を学んだ。ここで初めて「Aメロ」「Bメロ」「サビ」という概念を知る(遅くね?)。どうやらWikipedia先生曰く以下のようなテンプレがあるらしい。

  1. イントロ
  2. Aメロ
  3. Aダッシュメロ(曲調は替わらず、同じメロディーで別の歌詞)
  4. Bメロ
  5. 1サビ
  6. 間奏
  7. Aメロ
  8. Aダッシュメロ
  9. Bメロ
  10. 2サビ
  11. 間奏
  12. Cメロ(大サビと呼ばれることもある)
  13. 落ちサビ(サビと同じメロディーで、ドラムやベースを落としたパート)
  14. ラストサビ
  15. アウトロ

初心者なので先人に習って上のような感じで作ることにした。思い浮かんだ旋律を無差別に記録する「旋律の墓場」というファイルを作って詰め込んでいくうちにようやく納得がいったのが現在のAメロに当たるパート(動画でいう0:20-0:35)。でBメロっぽいパート(動画でいう0:36-0:50)を作ろうと思ってなんか展開力にかけるなあと思い、今度は先に和声展開を決めてからメロディ肉付けに試みる。ここの和声展開はオペラ座の怪人"Think of Me"の若干パクリで、イメージとしては「登り切りたいがちょっと登りきれない焦らし感」、より具体的には「憎悪の裏にある嘲笑に見せかけた迷い」みたいな感じで敢えて長調の和音を散りばめてみた。ここを作ってる時に、「あっホメロス叙事詩にしよ」って気持ちになった(当然ホメロスとはドラクエ11ホメロスです)。

サビ(動画でいう0:50-1:05)を作るのは、Bメロで曲のイメージや僕の中でのストーリーも決まったおかげか適当に歌ったり電子ピアノで思うままに弾いているうちにすっと完成した。

伴奏付け

基本的にノリと雰囲気でしかないんですが…。特筆すべきところを記録する。

グロッケンで最初から結構たくさんの場面でなり続けている「ソッレッミッドッレッシッドシラ」てメロディを曲の雰囲気や和音関係なくひたすらストイックに流し続けるみたいなのをやっている。このメロディは当然オペラ座の怪人のオマージュである(伝われ)。この音を馴染みやすいシンセサイザーとかの電子音にせずクラシカルで綺麗なグロッケンを選んだのは、僕的な(ホメロスの)繊細な感情を象徴したものです。この音は最後の方(動画でいう3:40-4:00)でも同じメロディで使われているんですが、音量もあげてより耳をつんざくような音に変えているのは、「まっすぐで繊細なものがそうであるが故に崩壊していく脆さ」みたいなイメージで作りました(ボキャブラリーがありません)。

あと、無理やり長調和音に合わせたり属7減7などを入れたりと結構素直じゃない和音を付けているので、聞いてる側を綺麗に誘導できるように自明な和音を鳴らす楽器を入れるように心がけた。

間奏(動画でいう1:06-1:20)のリズムと楽器はダンスミュージックっぽいものを使って、グロッケンの不動のメロディ「ソッレッミッドッレッシッドシラ」に合わせて綺麗さと歪さを演出しようとした。

Cメロ的な何か

ところで僕は変拍子が好きである。特に7拍子が好きである。n拍子からn-1拍子に変わる急く感じがとても好きである。当然7拍子を入れたい。今まで僕が作ってきた曲は必ずといっていいほどなぜか7拍子または5拍子が登場する。というわけでやっぱり7拍子が心から溢れ出てCメロを侵略してしまった(動画でいう2:08-2:36)。無理やり連れ出されるような転調や拍子変化が好きで、今回はそれを同時にやった。なので聞いてる側からも自明な変化になるようにシンプルなリズムにした。また、ラストに向けた展開力として音がだんだん重厚になる感じを演出した。

コーダの入り

コーダの入りパート(2:40-2:58)は一番心の迷いとか繊細さが露骨に出るパートとして、ドラムを抜いて楽器を3台だけにした。さらに不安定感を出すために前半は低音のベースを抜いて、後半から低音を追加することで闇感を出してみたよ。

メロディラインは実は以前習作として作成したDTM曲の一部が直感で浮かんだので使用した。このパートは、視覚的に説明すると束の間の広大な風景が見えてほしい感じだったので電子音系は使いたくなくて、また鉄琴系の音は被りたくなかったので、メロディラインの楽器を何にするかかなり思考錯誤した。結果、ポルカアコーディオンになった。他の候補としてはチェレスタが有力だったが、音質はいいけど一様な音になってしまうのが壮大さを妨害していて棄却された。

コーダ

コーダ(動画でいう2:58-3:40)ではマッシュアップ的なのをしたいというのが前からあった。というわけで今まで出てきた旋律を重ね合わせた。和声展開は当然異なるものを重ね合わせているが、なかなかうまく調和して満足している。序奏とAメロとサビと「ソッレッミッドッレッシッドシラ」が全部重なっている。ここでは今までグロッケンが紡いでいた「ソッレッミッドッレッシッドシラ」のメロディを敢えて電子音に引き継がせることで「一本通していたものを捨て去った」とか「迷いとの決別」とか「完全な闇落ち」みたいなものを象徴したつもりです。変化を表現する上で、他の序奏とかAメロとかサビとか全部今まで担当した楽器と異なるものを割り当ててみている。

最後

伴奏付けのところでも話したがグロッケンの音が耳をつんざくような音に変えて繊細なものが壊された時の痛さみたいなのを表現したかった。でも一番最後の音は綺麗なグロッケンの高い音で終わるのは、本質は変わっていないよってのと、救いを求めるような音として最後に響かせているつもり。

以上。

ちなみにコーダの入りで使ったっていう習作はこちらになります。

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